てぃーだブログ › こざもな紀行

2012年04月02日

やっと会えたね、アクアポリス

 絵葉書の中には青い海に聳え立つ要塞があった。
 その名はアクアポリス
 金城哲夫氏の人生を追っていくうちにいつかそのアクアポリスをこの目で見たいと思ったが、時すでに遅し、私が沖縄に来たときは既にアクアポリスは二束三文で中国に売られていた。
 金城哲夫氏のドキュメンタリーの中で必ず挿入されるのは11pmの海洋博開幕特番の一部であった。
 確かに、海洋博当時既に科学への無垢な信仰は既に打ち砕かれていた。
 しかし、映像の中のアクアポリスはウルトラマンやマイティジャックの世界に出てくる要塞や基地そのままで、私はどんな姿であれ見たいと恋焦がれていた。

 いつか見たいと思ったアクアポリスの美しく海に佇む姿を絵葉書の中とはいえ、やっと見ることができた。
 

 

 

  やっと会えたね。  

Posted by まいきー at 20:35Comments(0)TrackBack(0)

2012年01月08日

劇場版マブヤーを見に行ったよ

さて、昨日。学友二人とともにキャナルシティまで琉神マブヤーを見に行きました。
テレビ版とキャストが違うこと、ガレッジセールにスリムクラブと沖縄出身の吉本芸人が入ることでかなり不安でした。

ところが、ふたを開けて見たら意外と面白かったです。
マブヤーを知らない人たちのために説明っぽい台詞が多いのが気にはなりましたが、あほの子でへたれだけど、気持ちの優しいウルマに和みました。 そして、ヒーローに憧れるサイオンの最初のいじめっこっぷりと後半のウルマを叱咤激励するさまは劇場版ジャイアンを思わせました。

ガレッジのゴリ演じるハブデービルにスリムクラブの真栄田さん演じるジンベイダーも思いのほかよく、特にジンベイダーの朴訥でやや意固地なキャラは真栄田さんの「風邪を引いた三宅裕司」のような声質と合っていました。
九十四分という制約の中、やや無理にまとめた感はあるものの、結構楽しめ、心配も杞憂に終わってほっとしました。

最後に。冒頭のだいちゃんのカメオ出演には黄色い声を上げてしまいましたよ。そして、スタッフのTV版キャストへの配慮がされているのを感じ、安堵しました。

  

Posted by まいきー at 20:28Comments(0)TrackBack(0)映画を見たんだ

2011年07月23日

kozamonaシャツを作ってみた

えー。パソを整理したらコザに通いつめていたときに撮った思い出の写真を見つけました。


ゲート通りの写真です。
中の町の再開発によってコザの街が変わってしまったのに愕然として、さらに歩道橋も撤去されるという噂を聞き、あわてて歩道橋からゲート通りを撮った一枚です。
今となっては貴重な一枚となりました。
好きで好きでたまらなかった街を思って綴った旧ブログ名を入れてシャツにしてみました。


こちらです。




まいきーはこの頃のコザを時折懐かしんでます。  

Posted by まいきー at 18:15Comments(2)TrackBack(0)

2011年07月23日

フィンガー5 のAサイン物語

Aサインバーという単語を知ったのは、「驚き桃の木二十世紀」のフィンガー5特集でした。
玉元兄妹の父親が具志川でAサインバーを営み、そのバーで夜毎演奏するミュージシャンに憧れた玉元兄妹が父親に演奏したいと懇願し、厳しい特訓の末に店のステージにあがれたというエピソードが嫌に印象に残っていました。
血豆が破れ、血が溢れてもギターをかき鳴らし、末妹であるタエコさんが紙で作った鍵盤でキーボードの練習を泣きながらしていたというエピソードが紹介され、そこまで玉元兄妹を音楽に駆り立てるものは何なのか、そして、復帰前に本土に出てデビューして苦難を味わって、紆余曲折あってのブレイク、過酷なスケジュールによる疲弊、フィンガー5で貯めたギャラを全てはたいてのアメリカでの充電期間、その後の泣かず飛ばず、しかしながら玉元兄妹が本来やりたかった音楽に近い形の再デビュー。
それを生き生きと語る晃さんが鮮明に焼き付いています。
こうして私の中に、むくむくとAサイン時代、ドル札に翻弄された頃の沖縄の歴史への興味がわいたのでした。
  

Posted by まいきー at 10:11Comments(2)TrackBack(0)はじめに

2011年07月05日

さて、話は脱線しますが

友人で、アイランドファンつながりのMASAさんからイベントの告知です。


神戸発ハードロックの熱き祭典、ROCK☆TO ROCKの告知です。

今年は元ブリザードの下村成二郎氏も参戦いたします。

『ROCK☆TO ROCK Ⅸ』

2011'9☆18(Sun)

SEIJIROU R☆T R BAND


呉屋 多望通&FRIENDS
DAKKEN
exist
JARAS
LA BOHEME
ZENITH

...and more...


Open ★
Start★



会場 : KOBE LIVEACT BAR VARIT
〒650-0011
神戸市中央区下山手通り
2-13-3建創ビルB1F
TEL: 078-392-6655
http://www.varit.jp/index.html



主催:ROCK☆TO ROCK
http://rocktorock.yu-nagi.com/index.html

ticket予約&問い合わせ
rock_to_rock@mail.goo.ne.jp


問い合わせ:ART FLOWER
078-321-5509


mikeyはROCK ☆TO ROCKを応援しております。  

Posted by まいきー at 22:12Comments(0)TrackBack(0)

2011年06月23日

桐島カンナ

金城哲夫さん、城間俊雄さんの存在により沖縄が気になり、そんな私の沖縄熱を後押しするゲームが九十年代後半に発売されました。
サクラ大戦です。
特に私は沖縄出身のボーイッシュなカンナさんが好きでした。
今見ると、製作者サイドの沖縄への勘違いに頭を抱えたくなるものの、夏の匂いが溢れそうなカンナさんのルックス、劇中にカンナさんがプレイヤーキャラである大神に振舞う沖縄料理(ゴーヤーチャンプルー、ミミガー、ラフテー)に惹かれました。
(また食い物かというツッコミはなしでお願いします。)
そのためか、数年後にはじめて見たミミガーを臆せず食べられました。
金城哲夫さんの生涯から沖縄の複雑な状況を知り、城間俊雄さんから沖縄ロックの歴史を知り、そして沖縄と日本の隔たりを感じ、そしてゲームのキャラとはいえ桐島カンナさんから沖縄料理と沖縄の海への憧憬が再燃したのです。



今日の一曲は桐島カンナキャラクターソング、灼熱ブギです。  

Posted by まいきー at 13:46Comments(0)TrackBack(0)はじめに

2011年06月23日

「僕は沖縄が好きですから」

ブラウン管の中でそう呟くその人の瞳は濃いサングラスでよく見えませんでした。
しかし、どこか寂しさと諦めをその声から感じ、ずっと気になっていたのです。
その人の名前は城間俊雄さん。
紫のオリジナルメンバーであり、アイランドのリーダーだった人でした。
今年の二月に帰らぬ人となりました。

http://youtu.be/UMxysBPSZQA




個人的な話で恐縮であるが、紫のメンバーで私は俊雄さんが一番好きで、早い話が一目ぼれでした。
きれいな顔なのにうつろで危うげなその人がずっと気になったのが私の沖縄行きを強くしたきっかけでした。
何も知らない人間の驕りかもしれませんが、「助けたい」
その気持ちでいっぱいになったのを覚えています。
しかし、その願いは果たせませんでした。
今も悔しさと悲しさで涙が出ます。
そして、ドキュメンタリーを見てから十数年たった今も俊雄さんは紫のメンバーで一番好きな人です。
少なくとも私にとっては。
小粋で紳士で優しい方でした。
  

Posted by まいきー at 13:16Comments(0)TrackBack(0)コザの追憶

2011年06月15日

ノンマルトの使者vol.2

1993年の秋、NHK衛星放送第二にてある特番が放送されました。
三夜連続のその特番の特集の一つとしてオンエアされたのが金城哲夫さん特集でした。
ナビゲーターは「私が愛したウルトラセブン」にて金城哲夫さんを演じた佐野史郎さん。生前の金城さんとは真逆のルックスながら、満田かずほさんに金城哲夫と重なると言わせた演技力が印象的でした。
そんな佐野さんが金城さんの生涯を追いながら金城さん縁の地を訪ねるドキュメンタリー。
そのドキュメンタリーにて、金城さんのご実家が南風原町にある料亭「松風苑」だと知りました。
ホームページから見る内装や庭の格調高さに気後れしてまだ行けずにいますが、いつかは訪れたい場所です。
ドキュメンタリー中、金城さんの生い立ちを辿る中で、沖縄戦の最中、幼い金城さんが投降し、アメリカ兵に手をさしのべられるくだりが再現シーンとしてあったのですが、そのシーンでの佐野さんのナレーションが印象的でした。
「その時、彼の目に見えたアメリカ兵はウルトラマンだったのだろうか、怪獣だったのだろうか」
その言葉が今でもくっきりと焼き付いてます。
そして、金城さんが沖縄に居た頃に撮影した自主制作映画「吉屋チルー物語」をこのドキュメントで知り、円谷プロ文芸部を去り、沖縄に帰郷してからの金城さんの不遇。
特に海洋博の失敗はクローズアップされていました。
沖縄と日本の架け橋になろうとした金城さん、その金城さんの願いの集大成であった海洋博。しかし、実際は不入り、海洋博による好景気どころか海洋博失敗による県内企業の倒産などマイナスを抱えてしまった海洋博。結果、金城さんの酒量は増え、そしてそのお酒が原因で金城さんは帰らぬ人になりました。
海洋博開会式にて華やかな姿を見せたアクアポリス。当時の映像で見るアクアポリスは、さながらウルトラマンの世界に出てくる科学特捜隊やウルトラ警備隊の基地のようでした。そして、科学が世界を素晴らしくすると無垢に信じていた頃の象徴のようなデザインでした。しかし、海洋博開催の1975年にはすでに公害やそれによる病が取り沙汰されていた頃で、SF世界のようなアクアポリスは閉会式の映像の際にはなんだか居心地悪そうに佇んでいました。
ドキュメンタリー放送時の1993年にはすっかり寂れ、朽ち果てたアクアポリスの姿があり、曇り空、荒れた海と相まってアクアポリスは物悲しげにそびえ立っていました。
佐野さんは金城さんの夢の象徴であったアクアポリスを悼むように見つめ、ドキュメンタリーは終わりました。
金城哲夫という脚本家、松風苑、金城さんの作品の一つ「ノンマルトの使者」、海洋博、そして海にぽつんと浮かぶアクアポリス。
その映像により、一気に沖縄に惹かれていきました。


それから、数年後。沖縄に行こうと決める理由となったバンドとの出会いなのですが、それについてはうんざりするくらい書いているので割愛します(笑)と言いたいのですが……。これだけは書きたいというのがあるので、 ひとつだけ書かせてください。
  

Posted by まいきー at 22:33Comments(0)TrackBack(0)はじめに

2011年06月14日

ノンマルトの使者その1

ブルーシールのアイスクリームから沖縄にアメリカの匂いを感じ、沖縄がじわじわと気になり始めた頃、1993年にあるドラマが放送されました。
「私が愛したウルトラセブン」です。
脚本は市川森一さん。虚実交えてのウルトラセブンのメインライターたちにスポットを当てた物語です。
市川森一さん(劇中は石川新一)役は香川照之さん、上原正三さん役は仲村トオルさん、金城哲夫さん役は佐野史郎さん。そして、円谷英二さん役は鈴木清順さんという豪華キャスト。 このドラマの前編を見逃して、後にレンタルビデオ店で前後編を借りて観賞。
個人的にはウルトラセブンクランクアップの打ち上げを怪獣音頭を踊りながらキャンプファイヤーをする場面はいささかトホホな感じでありましたが、ウルトラセブンのアンヌ隊員当時のひし美ゆり子さん生き写しの田村英里子さんの可憐さ、スポンサーの横槍を無視して脚本を仕上げる市川さんの思い、沖縄と日本の架け橋になろうとした金城さんと沖縄独立を願う上原さんの思いの対比。
特に、金城哲夫さんを演じる佐野さんの名演はぐいぐいと惹きつけられるものがありました。
このドラマがきっかけだったのでしょうか、「知ってるつもり!?」や「驚き桃の木20世紀」で金城哲夫さんが特集されました。
このドラマをきっかけに沖縄に惹かれ、そして、上原正三さん、金城哲夫さんを知ったのです。
そして、話が前後しますがNHK衛星第二放送(現・BSプレミアム)が放送したウルトラマン25周年特番の一つである「金城哲夫特集」で「いつか沖縄に行きたい」と強く願うようになりました。
次回に続きます。  

Posted by まいきー at 10:16Comments(2)TrackBack(0)はじめに

2011年06月13日

アイスクリームパラダイス

スパムに次いで、まだ見ぬ沖縄の思い出はブルーシールのアイスクリームのパッケージでした。
当時のパッケージは今のパッケージよりもレトロな感じで、例えるなら、アイ・ラブ・ルーシーや奥様は魔女の劇中に出てきそうな六十年代の匂いがするパッケージ。
沖縄にアメリカの匂いを感じ、沖縄がだんだん気になってきたのはこの頃からでした。
  

Posted by まいきー at 22:37Comments(0)TrackBack(0)はじめに

2011年06月07日

スパムの思い出

私のスパムとの初遭遇は、父が会社の慰安旅行で買ってきたのがきっかけ。
当時はハブとマングースのショーやホテルでの琉舞ショーがパックツアーにあった時代。
父が土産に買ってきたスパムを見て、母がどのように調理したかというと。厚切りにして焼き、食卓に出したのです。

私も母もスパムをベビーハム(魚肉ソーセージの甘いやつ)みたいな味と勘違いしてました。
そして、食べた瞬間。

む せ ま し た 。

甘い味を勝手に想像した我々もアホですが、塩辛いやら脂っこいやら。

私とスパムの初対面は最悪なものでした。

ところが、時が流れて2003年。初来沖の際に買ってきたスパムは減塩。サンエー中の町店でスパムと再会した際に、うす塩、減塩、ガーリックとバラエティーに富んだスパムと再会し、さんざ悩んで減塩を選び、熊本に戻り、祖父母にポーク玉子をふるまったところ、祖母がめちゃめちゃ気に入りましたとさ。
以来、祖母は私が沖縄に行く度にスパムを所望するのです。
…ちなみにまいきーさんちはポークはスパム派ですが何か?(チューリップも買ってきたのですが、祖母も私もスパムの食感が合うのです。チューリップさん、すみません)
  

Posted by まいきー at 21:27Comments(2)TrackBack(0)はじめに

2011年05月24日

喜屋武マリーのポスター

熊本に戻り、数年後。
パルコに行った際に見つけた喜屋武マリーwith Medusaのポスターが強烈な印象でした。
鋭い瞳にカーリーヘアのマリー。その横を囲む彫りの深い顔立ちのバンドメンバー。
バンド名のメデューサという名前の禍々しさとあいまって、印象深いというよりは、怖いイメージを抱きました。

今思えば、四枚目のアルバムである"Burning blood"のプロモライブの告知ポスターだったのかもしれませんね。
特にこの曲は、ポスターから見てこういう曲を演奏するのかなというイメージそのままの曲だったので、youtubeで見つけたときは苦笑いしました。
勝手に予想していたのと一緒だったんですもの。





十数年後にマリーさんとお会いできたのですが、それはまた別の話。  

Posted by まいきー at 10:11Comments(4)TrackBack(0)はじめに

2011年05月23日

浪漫飛行

父の転勤で宮崎を離れ、お隣さんを通して知った沖縄とも縁遠くなりましたが、小学四年のときにあるCMでまた沖縄に触れました。
日本航空の1990年沖縄キャンペーンのCMです。
澄んだ空、青い海に米米クラブの面々のゴージャスな衣装。
今見るとすさまじくバブリーなそのCMで再び沖縄に触れました。そして、当時いろいろあった私にとって沖縄はまだ見ぬ楽園のように思えたのです。





http://www.youtube.com/watch?v=guJo3dC2vaw

しかし、「君がいるだけで」もそうだけど、この頃の石井さんは才能に溢れていたなあ。
特にこの歌詞に救われました。


逢いたいと思うことが
何よりも大切だよ
苦しさの裏側にあることに
眼を向けて
夢をみてよどんな時でも
全てはそこから
始まるはずさ
君と出逢ってから
いくつもの夜を語り明かした
はちきれるほど My Dream
トランク一つだけで浪漫飛行へ In The Sky
飛びまわれこの My Heart


トランクではなくナップザック背負って沖縄に行ったのはそれから十二年後でした。  

Posted by まいきー at 07:28Comments(0)TrackBack(0)はじめに

2011年05月22日

沖縄を知ったきっかけ

宮崎に住んでいた頃、引っ越してきたお隣さんが沖縄の方でした。
そのお隣さんちに遊びにきて、お昼にゴーヤーチャンプルーをご馳走になったのが、ファーストコンタクトでした。
恐る恐る食べたゴーヤーは思ったより苦くなくって、かりかりに炒められた豚肉とぽてっとした固い豆腐と相まって好きな味となりました。
後に、母がお隣さんにゴーヤーチャンプルーの作り方を教わり、作ったものの、下拵えが違っていたのか、母の作ったゴーヤーチャンプルーが苦くて食べられず、喧嘩になったのは文字通り苦い思い出(笑)

今でもお隣さんちのインテリアは覚えています。観葉植物で一杯のベランダ、ミンサー織りの壁掛け。

それが私と沖縄の出会いのきっかけでした。
  

Posted by まいきー at 13:08Comments(2)TrackBack(0)はじめに

2011年05月22日

帰ってきたこざもな

どうも。まいきーです。
以前はコザ漫遊国さんでコザ・モナムールというブログをしておりました。
紆余曲折ありまして、ぼちぼちですが、改訂版を作ろうかと思い、再開しました。
皆様、よろしくお願いいたします。
  

Posted by まいきー at 02:32Comments(0)TrackBack(0)